メインコンテンツへスキップ
← 記事一覧

五十年、同じ問いを

公開 · Corey Lien

要点

本稿は、DOMI共同創業者の連庭凱(コーリー・リエン)が、2026年に退職された谷本寛治教授に寄せた感謝の記録です。谷本教授は日本における「企業と社会」研究の先駆者であり、JFBSの創設者です。台北の旧市街を歩きながら収録した対話をもとに、教授が五十年にわたって問い続けてきた問い——企業と社会は、どのような関係にあるべきか——と、DOMIが教授から受け継いだものをたどります。

五十年、同じ問いを

文:連庭凱(コーリー・リエン)DOMI Earth 共同創業者 · 2025年11月、台北

日本における「企業と社会」研究の先駆者であり、JFBSの創設者であり、私たちの多くにとって師であり友人でもある谷本寛治先生と、ご退職を前に台北の旧市街を歩きました。

穏やかな11月の午後、台北。私は谷本先生の襟元に小さなマイクを留め、どうかそのまま話し続けてくださいとお願いしました。これから旧市街を歩くのです。十年にわたる訪台で先生がすっかり知り尽くした、細い路地の数々を。一言も聞き漏らしたくありませんでした。先生は夜8時から国家音楽庁でコンサートのご予定がありました。私たちには午後いっぱいの時間と、行く先のどこかで待っている海老餃子と、語り尽くすべき五十年がありました。

谷本先生は2026年3月末に退職されました。「サステナビリティ」という言葉がまだどの年次報告書にも載っていなかったころから、先生は生涯をかけることになる問いを立てていました。企業と社会は、どのような関係にあるべきか。本稿は、あの午後に収録した対話から生まれました。散歩と食事と、自分ひとりの胸にしまっておくにはあまりにもったいない特別講義。これは、私なりの感謝のしるしです。

台北の古民家ATTICの前に立つ谷本先生とコーリー。二人ともマイクを襟に付けている
ぶどう棚の下で飲み物を手にする谷本先生とコーリー
襟元にマイク、台北の古い街並み、そして五十年分の対話。2025年11月、台北。

1974 · ブームは終わったと言われた先駆者

CSRをめぐる本格的な議論が始まったのは、1970年代のアメリカでした。谷本先生ご自身の研究の物語は、一本の卒業論文から始まります。1970年代半ば、学部生だった先生は、当時日米の研究者のあいだで交わされていたある議論に目を留めました。企業の役割と機能が変わりつつあるのではないか、という議論です。先生はその糸をたぐり続けたいと考えました。ところが1979年に神戸大学の大学院へ進んだころには、石油危機が経済を打ちのめし、それとともに企業の責任をめぐる流行の議論も下火になっていました。そもそも研究テーマとして成り立つのか、先生自身も疑問を抱いていたといいます。

「今はブームではない。しかし、企業と社会と政府の関係は、基本的で重要な問いだ。君が日本でこの分野の先駆者になりなさい」——大学院の指導教員、1979年

そして先生は、その先駆者になりました。日本語の資料はほとんどなく、翻訳されたアメリカの書籍と、手に入る限りの海外論文を頼りに研究を進めました。大阪、そして神戸。関西の時代を通じて、先生は留学を一度も経験することなく、日本国内だけでキャリアを築いていきます。1997年に東京の一橋大学へ移られたのは、まさに日本そのものが変わろうとしていた時期でした。

1992 · 私たちが当たり前だと思っている歴史

散歩のなかで最も印象に残っているのは、先生がこの運動の年表のすべてを、ごく自然に頭の中に収めていらっしゃることです。先生はそのすべてを生きてこられたのですから。1992年、リオの地球サミット。参加したのは政府だけでした。その十年後のヨハネスブルグでは、言葉そのものが変わります。経済・社会・環境の問題をもはや切り離して論じることはできなくなり、「環境」は「サステナビリティ」になりました。そしてNGOが初めて、正式に議論の席へ招かれたのです。2012年のリオ+20で、ついに企業が正式にその場に加わりました。その3年後に、SDGsが生まれます。

並んで歩きながら、私はひとつ打ち明けました。2012年に私がこの分野に入ったとき、すべてはすでにそこにありました。国連グローバル・コンパクトがあり、さまざまな枠組みがありました。SDGsが登場したのは、私が歩み始めて3年目のことです。私はそれらをすべて当然のものと受け止めていました。サステナビリティの基盤は、先生のような方々がひとつひとつ議論を重ねて築き上げてきたものなのに、まるで最初からそこにあったかのように。

「先人たちの経験と努力があったからこそ、私たちは何かを言うことができる——声を上げる権利があるのです。四十年、五十年前は、状況がまったく違っていました」——谷本寛治

先生は、この歴史の日本版を間近で見てこられました。先生の地元である関西を襲った1995年の阪神・淡路大震災では、かつてないほど多くのボランティアが駆けつけ、その年は日本の「ボランティア元年」として記憶されています。それが1998年、日本で初めてのNPO法につながりました。2000年ごろには、世界のCSRの潮流が黒船のように外から押し寄せ、日本の多国籍企業の扉を叩きます。あなたがたは責任あるビジネスをしていますか、と。2005年には最初のCSRブームが到来し、報告書が作られ、担当役員が置かれ、専門部署が生まれました。

2010 · 「私は何者でもない」——最も難しい選択

2000年代半ばには、谷本先生は日本で最も名の知られたCSR研究者のひとりになっていました。政府の委員会で委員長を務め、企業に助言し、メディアにも頻繁に登場していました。名声も、影響力も、収入も、すべてが自然に集まってきました。そんなとき、ある国際会議で、ヨーロッパの研究者が先生の考えに丁寧に耳を傾けたあと、論文を送ってもらえないかと尋ねました。送れる論文は、一本もありませんでした。英語で論文を発表したことも、海外で報告したことも、一度もなかったのです。

「そのとき、ただ気づいたのです。国際的な学術の世界では、私は何者でもない。有名なのは、日本の中だけなのだと」——谷本寛治

先生は50歳前後でした。そこから先生がとった行動こそ、私にとっては先生のキャリアで最も示唆に富むものです。先生は、ほとんどすべてをお断りになりました。委員会も、メディア出演も、日本のCSRといえばこの人、という居心地のよい権威も。それらをすべて手放し、研究室に戻って、来る日も来る日も論文を読み、データを分析しました。「まるで大学院生みたいですね」と、ゼミの学生たちにからかわれたそうです。先生はそれを褒め言葉として受け取りました。

そこから始まった第二幕が、先生の周りの研究分野そのものを形づくり直していきます。多くの人のキャリアが固まっていく年齢で、先生はベルリン自由大学の招きに応じました。初めての長期の海外滞在です。先生は、この経験で考え方がすっかり変わったとおっしゃいます。国際的な論文発表も始まりました。そして2011年、先生は企業と社会フォーラム(JFBS)を創設します。この分野を専門とする日本で初めての学会であり、あえて英語で運営し、あえて国際的に開かれた場としました。日本の研究者、ビジネスパーソン、NGOが、世界の議論と正面から向き合わざるをえない場です。先生は10年間にわたり会長を務め、現在も名誉会長でいらっしゃいます。

日本の大学の講義室での集合写真。参加者のひとりがBest For The Worldのバッジを掲げている
先生は扉を開き続けてくださいました。まずはゼミ生への講演に招かれ、次にJFBSの年次大会へ。会場には、タイから早稲田大学に来ていたSakulthip Keeratiphantawongさんの姿もありました。
JFBSのセッション中、講義室の机で笑顔を見せる雪本沙也さん、コーリー、コーリーの末娘
JFBSのセッションの合間に。人生で初めての学会に参加した私の末娘と、京都・GLOCAL Centerの雪本沙也さん。

2015 · 決して和らげなかった批判

温かいお人柄とは裏腹に、企業の実践に対する谷本先生の評価は、一度も甘くなったことがありません。日本企業は、自分たちに都合のよい情報だけを拾い上げるのが上手だ、と先生は言います。責任という言葉は取り入れても、事業の核心には手をつけない。CSRはコンプライアンスになりました。そこへSDGsがやってきて、表面的な取り組みはいっそう簡単になりました。ゴールを一つか二つ選び、技術とマーケティングの物語を添えれば、誰からも批判されないのです。

「新しい制度を導入し、報告書も発行しました。でも、事業の核心は変えたくなかった。SDGsは簡単です。ゴールを一つ選べばいいだけですから。誰も批判しません」——谷本寛治

先生は、皮肉なひとつの例を挙げます。東芝です。かつて日本のCSRやガバナンスの評価で最上位に位置していた企業でした。不正会計問題が発覚する、その直前まで。仕組みや評価や報告書は、変化そのものではない、と先生は戒めます。そこから先生が引き出す教訓は、冷笑ではなく、深さです。責任は、経営の外側に後付けするものではなく、企業の経営のあり方そのものに組み込まれていなければならない、と。

それでも——そしてここが、私が先生の思考を何より大切に思うところなのですが——その批判は両方向に向けられています。私の世代のチェンジメーカーは、資本主義が実際にもたらしてきたものには敬意を払いつつ、資本主義に挑むことを学んでいる最中です。そうお話しすると、先生はその考えをさらに一歩進めました。光の面と影の面を、同時に抱えなさい、と。陰陽のようですね、と私が言うと、先生は笑って「東洋の理論みたいですね」とおっしゃいました。五十年を経た先生の結論は、楽観でも悲観でもなく、その両方を抱え続ける規律なのです。

教育者として——まず基礎を、それから議論を

サステナビリティを学ぶ学生は何を勉強すべきかと尋ねると、拍子抜けするほど流行とは無縁な答えが返ってきます。経営学、会計、ファイナンス。CSRは応用分野なのだ、と先生は強調します。投資を理解せずに、ESG投資を理解することはできません。社会課題、人権、地政学はどうか。誰も教えてはくれないから、自分で学びなさい、と。ビジネスを学ぶ学生はNGOが実際にどう動いているのかを学び、NGOの人々はビジネスの専門知識を学ぶべきだ。外から批判するためではなく、知識に基づいて協働するために。

毎年夏になると、先生はゼミ生にディベートをさせました。自主的アプローチか、義務的アプローチか。賛成と反対に分かれ、自分の意見とは違う立場を割り当てられて論じるのです。ほとんどの日本の学生にとって、そんな経験は初めてでした。そして、企業のサステナビリティを率いることになる人たちへの先生の助言は、まさに忍耐そのものです。まず10年、企業の実際の業務の中で経験を積みなさい。経験の伴わない情熱は、失望に終わる、と先生は戒めました。この教えは、DOMIの採用のあり方にそのまま生かされています。

先生は、本を通しても教えておられます。DOMIのオフィスで、先生はもう一冊の本を見せてくださいました。『わたしたちの暮らしは世界とつながっている——持続可能な地球社会をつくる』。さくらいともかさんの絵による、千倉書房の一冊です。あるページのフローチャートを指さしながら、先生はテーブル越しに私に説明してくださいました。退職されようとされまいと、先生はやはり、教える人なのです。

谷本寛治著、さくらいともか絵『わたしたちの暮らしは世界とつながっている』(千倉書房)の表紙
DOMIのオフィスのテーブルで、著書のフローチャートを指さす谷本先生と、笑顔のコーリー
その本と、DOMIのオフィスで内容を説明してくださる先生。

2016 · 台湾、テニス、そして私たちの写真が載った一冊

台湾は、この十年、先生の物語の一部であり続けてきました。2016年、2018年、2019年、そして2022年からは国立台北大学の客員教授として。2022年はコロナ禍の終わりごろで、台湾に来るために一週間の隔離も朗らかにこなされました。先生は台湾各地で講義をし、七つの大学を訪れ、週末になると三峡キャンパスで地元の人たちとテニスをしていました。台北の学生たちも、東京の学生たちと同じ教えを受けました。まず基礎を。両方の面を見ること。そして議論を。

台北のカフェのテーブルでの自撮り写真。ミリアム・ガルヴィ博士、友人、ミネルバ大学の学生、谷本先生、コーリー。全員マスク姿
マスクの時代の台北。カフェのテーブル、何人かの友人、そして変わらず続く長い対話。地政学的な不確実性のなかで育つ若い世代、つまり次の世代について話していたところへ、ミリアム・ガルヴィ博士とミネルバ大学の学生が立ち寄りました。先生の行動力と知識、そして現実を見据えた先生ご自身の憂慮が、あの午後の私たちに欠けていたものを与えてくれました。希望です。

ここまでが、教授としての先生です。けれども本稿は、友人としての先生に捧げるものです。私たちが初めて出会ったのは2018年ごろ、台北の旧市街にある小さな有名餃子店、金鶏園でした。羅斯福路三段316巷8弄3-1号。それ以来、先生は私を教室へ、そしてJFBSの壇上へと招き、起業家や研究者を紹介し、いつも、いつも、話す時間をつくってくださいました。本当の意味で、話す時間を。あの午後、先生はこうおっしゃいました。「メッセージをやりとりするだけではなくて。とにかく話して、話すことです。二人のあいだで、何かが生まれる——会う前には想像もしなかったものが」

金鶏園(Googleマップ)

同じ店で餃子の並ぶテーブルを囲むコーリーと谷本先生。以前の訪問時
同じ店で、以前訪れたときの一枚。今回はデザートになるまで料理の写真を撮り忘れました。それでも先生は、ちゃんと記録していらっしゃいました。

昼食の席で、先生は鞄から一冊の本を取り出しました。『経営学者の台湾』(2025年)。台湾で過ごした日々を、週末ごとにスマートフォンの写真をもとに書き綴った、研究者の回想記です。先生がページをめくると、そこには私たちがまさに座っているその餃子店がありました。別のページには、社会起業家の章に私の姿が。そして、七年前にこの同じ店で撮った、私たちの初めての出会いの写真が印刷されていました。私たちは立ち上がって同じ席の一角を探し、もう一度写真を撮りました。それからお店のご主人にお話しすると、大喜びで一緒に写真に収まってくださいました。

餃子店のテーブルで谷本先生の新刊を開いて持つコーリーと、隣に座る谷本先生
谷本寛治著『経営学者の台湾』(クロスメディア・パブリッシング)の表紙
本の1ページ。社会起業家の章で、連庭凱(コーリー・リエン)とDOMIを紹介する日本語の文章
私たちのテーブルの上の、先生の本。『経営学者の台湾』は、ドイツ編に続く滞在記の二冊目で、クロスメディア・パブリッシングから刊行されています。写真のページでは、社会起業家の章でDOMIが紹介されています。七年かけて、ようやく閉じる円もあるのです。

先生はほとんどすべての料理を、おいしそうに召し上がりました。「98パーセントは食べられますよ」と笑い、豆腐だけはご遠慮なさって。「それに、友人と一緒だと、ずっとおいしく楽しめます」。料理の写真を撮り忘れていて、気づいたときにはデザートが半分残っているだけでした。それで、そのデザートを撮りました。コンサートホールへお送りする前に、私は企業がサステナビリティのためにできることをまとめたDOMIの白書を先生にお渡ししました。英語版と中国語版は印刷したもので、日本語版は東京のパートナーが用意してくれたものです。先生に宿題を提出するような気持ちでした。きっとこれからも、ずっとそうでしょう。

2026 · 私たちが受け継ぐもの

谷本先生は五十年にわたり、世の中から「もう流行らない」と言われ続けた問いに取り組んでこられました。やがて世の中が追いつき、それが時代の問いであったことに気づくまで。先駆者とは、そういう存在なのだと思います。誰もがその問いを問う準備ができるまで、問いを生かし続ける人です。

私たちDOMIが先生から受け継ぐのは、枠組みだけではありません。私たちの仕事は、ひとつの継承なのだという自覚です。取締役会の場に立って責任について語る権利は、どれも、私たちより前の世代が勝ち取ってきたものです。システムを批判する前に、まず基礎を学ぶという規律。光と影をともに抱えること。制度に挑みながらも、制度がもたらしてきたものには敬意を払うこと。そして、何より厳しい教え。居心地のよい権威から離れ、もう一度学生に戻るのに、遅すぎるということは決してない、ということです。

退職されても、問いの歩みは緩んでいません。2026年に中央経済社から刊行された最新刊は、『企業に政治的責任はあるのか——資本主義と責任あるビジネス』。先生が五十年抱き続けてきた問いを、あらためて世に問う一冊です。

図書館の所蔵を調べる(CiNii)

谷本寛治著『企業に政治的責任はあるのか』(中央経済社)の表紙
谷本寛治『企業に政治的責任はあるのか——資本主義と責任あるビジネス』2026年。

谷本先生、ありがとうございました。私たちがいま立っている土台を築いてくださった、何十年にもわたるご研究に。東京で、台北で、開いてくださったすべての扉に。数々の議論と、餃子と、二人の人間のあいだの対話が、どちらもひとりでは想像しえなかったものを生み出しうるということを、思い出させてくださったことに。

先生にとって退職とは、きっと、この問いのためのもうひとつのサバティカルにすぎないのでしょう。私たちも先生とともに、この問いを生かし続けていきます。続——問いは、続いていきます。

谷本寛治(Kanji Tanimoto)略歴

  • 一橋大学名誉教授(1997–2011年 同大学教授)。元早稲田大学商学部教授(2012–2026年)。2026年3月末に退職。
  • 企業と社会フォーラム(JFBS)創設者。2011–2021年 会長、現在は名誉会長。
  • 神戸大学 博士(経営学)、MBA。大阪市立大学 商学部卒業。
  • 客員教授:ベルリン自由大学(2010年、2014年、2017年)、国立台北大学(2016年、2018年、2019年、2022–2026年)、ケルン・ビジネススクール(2017–2018年)。
  • 研究分野:企業と社会、CSR・サステナビリティ経営、ソーシャル・イノベーション、責任投資。
  • 学術誌の編集:Corporate Governance: The International Journal of Business in Society(Associate Editor、2015年–)、Sustainability Accounting, Management and Policy Journal(Editorial Advisory Board、2014年–)ほか。

よくある質問

谷本寛治教授とはどのような人物ですか?
谷本寛治教授は一橋大学名誉教授、元早稲田大学商学部教授です。日本における「企業と社会」およびCSR研究の先駆者であり、2011年に企業と社会フォーラム(JFBS)を創設しました。2026年3月末に退職されました。
JFBSとは何ですか?
企業と社会フォーラム(Japan Forum of Business and Society、JFBS)は、「企業と社会」の分野を専門とする日本で初めての学会です。谷本教授が2011年に創設し、あえて英語で運営し、国際的に開かれた場としました。教授は10年間会長を務め、現在は名誉会長です。
谷本教授の最新刊は何ですか?
2026年に中央経済社から刊行された『企業に政治的責任はあるのか——資本主義と責任あるビジネス』です。